小田原城三の丸元蔵跡第Ⅱ地点・三の丸元蔵堀第Ⅱ地点の発掘調査

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2017年5月6日(土)、小田原城(神奈川県小田原市)に行ってきました。
小田原城三の丸元蔵跡第Ⅱ地点・三の丸元蔵堀第Ⅱ地点の発掘調査」を見かけました。

小田原城三の丸元蔵跡第Ⅱ地点・三の丸元蔵堀第Ⅱ地点の発掘調査

 この地は、小田原城三の丸の北側に位置しています(図1)。平成25年(2013)11月から平成26年(2014)3月にかけて発掘調査が行われ(図2)、奈良時代の竪穴住居址5軒、戦国時代~江戸時代の3条の障子堀や井戸などの遺構、縄文土器、弥生土器、奈良時代の土師器・須恵器、戦国時代~江戸時代の陶磁器などの遺物が検出されました。
 南側調査区の元蔵跡第Ⅱ地点では、北側から南側へ傾斜する緩斜面上に奈良時代の竪穴住居址が5軒検出されました。出土した遺物から8世紀中葉~後葉の竪穴住居址と推定され、竪穴住居址の北側にはカマドが設けられていました(写真1)。
 戦国時代~江戸時代初頭では、障子堀である南北に走る1号堀が検出され、江戸時代初頭に特徴的にみらえれう玉石積みの石垣が側壁に沿って築かれていました(写真2・3)。また、石と木桶を組み合わせて構築された江戸時代の井戸など、小田原藩の家臣の居住地として土地利用されていた痕跡も確認されています。
 北側調査区の元蔵堀第Ⅱ地点では、江戸時代の三の丸元蔵堀に相当する東西に走る2号堀が検出され、鉤の手状に曲がる平面の形や、江戸時代初頭に見られる田の畔のような浅い障壁をもつ障子堀が確認されています。また、戦国時代の掘り込みの深い障壁をもつ障子堀とも重複していました(写真4)。3号堀は、2号堀と重複する形で南北に走っており、位置的に考えて1号堀に連結する可能性がある障子堀です。
 検出された3条の障子堀は、戦国時代~江戸時代における小田原城の移り変わりを解明する上で重要な遺構と評価できるものでした。なお、検出された3条の障子堀は、半分以上の深さの範囲が埋め戻されて埋蔵保存されています。

小田原市教育委員会

(2017年5月6日現在)

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