比類なき勲章、栄光の数字「永久欠番」

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比類なき勲章、栄光の数字「永久欠番」

 阪神甲子園(兵庫県西宮市)で「比類なき勲章、栄光の数字『永久欠番』」を見かけました。

「 さまざまなスポーツ界において、その道で類稀なる偉大な成績を残した選手を称え、その栄誉と功績を後世にまで伝承させるために、その背番号を欠番扱いとする制度。メジャーリーグで初めて制定したニューヨー^ク・ヤンキースでは1939年、第1号となったル・ゲーリック内野手の「4」に始まり、ベーブ・ルース「3」、ジョー・ディマジオ「5」ら、錚々たる名前が並んでいる。
 日本プロ野球においては1947年、巨人の沢村栄治投手の「14」が第1号。そしてタイガースでは1958年11月30日、この年限りで現役を引退した藤村富美男選手の背番号「10」が、球団史上初めての永久欠番となった。以降、1972年の現役引退と同時に村山実投手の「11」が栄光の数字となり、吉田義男選手の「23」は彼の現役引退以降、その背番号を付けるにふさわしい選手が誰一人現れず、その後監督としてタイガースを初めて日本一に導いた翌々年、1987年に3番目の永久欠番となっている。」

「10 藤村富美男
強虎の礎となった「ミスタータイガース」

 1936年4月29日、創設されたばかりのタイガース公式戦第一戦に投手として先発し、完封で記念すべき球団初勝利を挙げた。しかし藤村選手の本領は、37インチという驚愕の長尺バットを操っての豪快なバッティング。戦前、戦後を通じて数々の打撃タイトル、記録として伝説を残してきた。1949年にはチームが8球団中6位に終わった中で、リーグ最多安打(187)、最多打点(142)、最多本塁打(46)を記録。優勝チームである巨人の川上選手、千葉選手らをおさえて、最高殊勲選手に選出された。捕手以外のすべてのポジションをこなし、監督も兼任したスーパースター。タイガースの背番号「10」を背負ったのは、後にもこの藤村選手をおいて他には存在しない。」

(2015年8月5日現在)

「11 村山 実
反骨精神で挑み続けた「炎のエース」

 入団初年度に18勝を挙げ、最優秀防御率(1.19)と沢村賞を獲得。躍動感溢れるそのピッチングフォームは、当時のマラソンランナーになぞらえて「ザトペック投法」と呼ばれた。巨人からの誘いを受けながら、迷うことなくタイガースに入団した経緯は男気を感じさせた。また、時期を同じくして巨人に入団し、当時の球界で華々しく脚光を浴びていた長嶋選手との間で繰り広げられた数々の名勝負。宿敵に真っ向から立ち向かうその反骨精神と気概は、多くのファンを魅了した。1970年からは選手兼任監督としてタイガースを指揮。現役引退を表明した1972年のオフに、村山投手が14年間背負い、222勝を積み重ねてきた背番号「11」は永久欠番となった。」

「23 吉田義男
ダイヤモンドを華麗に舞った「今牛若丸」

 19歳での入団初年度から、不動の遊撃手としてその名を球界にとどろかせてきた。芸術品とも言える華麗なグラブさばきと、「牛若丸」と異名をとった身のこなしで、ベストナインに選出されること9回。通算盗塁数は350を数えた。現役引退後は評論活動を経てタイガースの監督に就任。そして二度目の指揮となった1985年、チームを実に21年ぶりとなるリーグ制覇に導き、そのまま日本シリーズでも西武を破って日本一に輝いた。これは2リーグ分立後では球団初の快挙。現役時代に得た「不世出の遊撃手」という称号に加え、タイガース初の日本一監督としての栄誉は、その後、永久欠番となった背番号「23」と共に色褪せることなく語り継がれている。」

 

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