常夜燈と渡し舟

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常夜燈と渡し舟

 東京都墨田区側の隅田公園付近の隅田川沿いを歩いていたら、「常夜燈と渡し舟」解説板を見かけました。

常夜燈と渡し舟 隅田川の水運と向島風情の象徴

 この常夜燈の置かれている場所は、かつて牛嶋神社の境内地でした。牛嶋神社は隅田公園の整備とともに現在地に移転しましたが、この常夜燈だけはここに残されました。それは墨堤における重要な目印であったためです。
 この付近にはかつて「竹屋の渡し」が設けられ、春の花見や夏の花火見物、明治に入ってからは向島の花柳界へと遊興客を数多く運んできました。まだ照明が発達していないこの時代にはこの常夜燈の明かりが非常に重要な役割を果たしていました。また、明治の画家達は墨堤の桜とこの常夜燈を好んで組み合わせることにより、向島の風情を描きました。当時の向島の格好のシンボルとしてその姿を今に伝えています。

〈墨田区登録文化財〉墨堤常夜燈
所在地 墨田区向島五丁目一番 隅田公園内

 この常夜燈は、総高465cmにも及び、宝珠部分には牛嶋神社の社紋が彫刻されています。、口伝によると牛嶋神社がまだこの付近にあった明治4年(1871)頃、土手から神社へ下る坂の入口に建立されたようです。氏子たちが奉納した神社の燈籠としての役割に加えて、隅田川を往来する川舟のための灯台を兼ねており、墨堤の燈明として航行の安全を守っていました。
 常夜燈の基礎部分には「本所総鎮守」と刻まれているだけではなく、対岸も含めた29軒の料亭と50名を超える近隣の奉納者名が刻まれています。その中には、向島の料亭として有名だった植半、八百松、武蔵屋などが、また言問團子の創始者外山新七や長命寺の桜もちの経営者新六の名を見ることができます。
 花見客はこの常夜燈を目印に足を運び、墨堤の桜を楽しみました。また、桜と常夜燈の組み合わせは、江戸・明治の風情を思い起こさせるものとして、多くの画家や写真家が題材とした向島を代表するシンボルでした。
 牛嶋神社自体は、関東大震災を契機に昭和7年(1932)に隅田公園の南(向島二丁目五番十七号)に移動しましたが、墨堤常夜燈はこの地に残されました。

(2015年3月28日現在)

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