「弥生式土器」の発見地

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「弥生式土器」の発見地

 本郷城があったとされる東京大学(東京都文京区)をブラブラしていたら、「「弥生式土器」の発見地」を見かけました。

「弥生式土器」の発見地

「弥生式土器」の発見  明治17年、東京大学の坪井正五郎、白井光太郎と有坂○蔵の3人は、根津の谷に面した貝塚から赤焼の壺を発見した。これが後に、縄文式土器と異なるものと認められ、町名をとり「弥生式土器」と命名された。
発見地はどこか  「弥生式土器」の発見地は、その後都市化が進むなかではっきりしなくなり、謎とされてきた。推定地としては、次の3か所が指摘されている。(左(写真左)の図参照)
 ① 東京大学農学部の東外側(サトウハチロー旧居跡付近)
 ② 農学部と工学部の境(現在地付近)
 ③ 根津小学校の校庭裏の崖上
弥生二丁目遺跡の発掘  ((写真左の)図の④の地点)昭和49年春、根津小学校の児童が、東大構内旧浅野地区の工学部九号館わきで倒れた木の根元から土器片や貝殻を採集した。これがきっかけで発掘調査が行われ、二条の溝と貝層、弥生式土器等が検出された。都心部における弥生時代の数少ない貝塚を伴う遺跡として重要であることが評価され、昭和51年に弥生二丁目遺跡として国の史跡に指定された。
 しかし、「弥生式土器」の発見地は、特定するにいたっておらず、現在も調査研究がすすめられている。

(2015年2月21日現在)

「弥生式土器」の発見地(2)

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