町田市で見かけました

Bookmark this on Google Bookmarks
LINEで送る
Pocket

福禄寿

 東京都町田市に行った時に、こんな像を見かけました。
 上は、「福禄寿」像。財宝守護の神で、福(繁栄)、禄(財産)、寿(長寿)の三徳を備え、中国では「南極星」の化身で「南極老人」といわれているそうです。
 下は、原町田商店街の発祥について。

原町田商店街の発祥

 原町田商店街は、もとは一村であった町田郷から原町田村が独立した後、天正15年(1587年)に、それまでの市をわけて、「二の市」が原町田、「七の市」が本町田に開設されたのが始まりといわれています。本町田の「七の市」は次第に衰えていきましたが、原町田の“市”は炭・薪・蚕糸・畑作物の他、衣料や農具など多くの物産を取り扱い、文政・天保年間頃(1818~1843年)には「二・六の市」となって、月に6回も開かれるようになりました。この「二・六の市」こそ、今日の原町田商店街発展の礎を築いたといえるのです。
 幕末に横浜が開港すると、原町田は繭や生糸を運ぶ“絹の道”の中継地として、各地から生糸商人が集まり、“市”の規模も大きくなっています。
 “市”が開かれた場所は、川田横丁や塩屋横丁あたりから勝楽寺門前までで、道の両側の家の軒先に“マゲ”と呼ばれる長い屋根が張られ、それを区切って市店が並びました。
 明治41年(1908年)に横浜線が開通し、交通の便がよくなると、“市”の日以外にも人々が集まるようになり、次第に商業の街としての形が整うようになりました。
 大正14年(1925年)には、古着や古道具類を扱う市店が今の仲見世商店街付近に“ボロ市”として独立し、有名になりましたが、昭和に入ると不況や戦争の影響を受けて、物資不足から出店数も減り、昭和19年(1944年)6月、360年程続いた“市”も、ついに幕を閉じています。しかし、原町田は戦後再び商業地としてよみがえり、飛躍的な成長を遂げて今日に至っているのです。

(2014年10月26日現在)

 さらに、「コロン・プラッサ」という像。

Bookmark this on Google Bookmarks
LINEで送る
Pocket

You may also like...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)