昔の浅草の様子

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 台東区にあります朝日信用金庫ことぶき支店のウィンドウに、昔の浅草の様子を紹介した写真が展示されていました。(2013年4月現在)
 昭和30年~45年の浅草の写真が展示されていました。昔の写真の背景に現在の写真という構成なのを、後になってわかったので、この演出の趣旨通りに紹介できませんので、ご了承ください(笑)。

【写真の説明】
モデル撮影会:浅草寺本堂東側階段付近でのモデル撮影風景。当時、マニアが持つカメラは、大卒初任給の4倍以上もする贅沢品だった。写真に写っているカメラのほとんどは高級品みたい。(昭和30年代、浅草寺境内
出前コンクール:当時の蕎麦屋は、出前の「そば」を重ねて肩に担ぎ、自転車で配達していたそうです。コンクールでは、2人が立つ間を自転車でS字に走り、その速さと動作の美しさを競ったそうです。(昭和30年、オレンジ通り(旧区役所通り)
浅草花やしき:日本現存最古である花やしきのローラーコースターは、昭和28年に登場。その2年後の写真だそうです。この頃から娯楽がレジャーと呼ばれるようになったそうです。(昭和30年、浅草二丁目
六区の宝くじ売り:「六区」は大衆芸能の地として繁栄し、多くの映画館・劇場が軒を連ねていたそうです。写真の中で売られている宝くじは「東京都七夕くじ」だそうで、最高賞金額は200万だったと。(昭和33年7月、浅草ニ丁目
吾妻橋交差点:写真左奥はアサヒビール、中央の東橋には都電が走っていました。当時は信号機が無いため、警察官が手信号で交通整理を行っていたそうです。右側は地下鉄「銀座線」の入口。(昭和33年10月、吾妻橋
浅草国際劇場:東洋一の大劇場と謳われ、松竹歌劇団(SKD)や人気歌手の煌びやかなショーの開催で有名になったそうです。昭和57年に閉館。その名を国際通りに残したといいます。現在は浅草ビューホテルに。(昭和37年7月、西浅草三丁目
浅草の街並み:写真左に写る塔は、関東大震災で崩壊した凌雲閣(浅草十二階)を模して建てられた「仁丹塔」。広告の塔として雷門一丁目交差点にあったが、老朽化により昭和61年に解体されたそうです。(昭和40年1月、西浅草二丁目
写生大会:都内最古の寺院といわれる浅草寺。その本堂は、昭和20年3月の東京大空襲で焼失してしまいました。この写真の時期に本堂が再建され、その記念の写生大会。(昭和33年10月、浅草寺境内
雷門前のキセル売り:キセルの露天商は「らう屋」と呼ばれ、屋台にある小型ボイラーの蒸気が行うヤニ掃除や、柄の交換を行っていました。戦後は激減し、写真の当時でも珍しいもの。(昭和41年、浅草雷門前
新世界ビル:写真手前が花やしき、奥が五重塔のネオン輝く「新世界ビル」。ひょうたん池の跡地に建てられた複合施設には、温泉浴場や宴会場、飲食店などが入り「娯楽の殿堂」と呼ばれたそうです。現在はウインズ浅草。(昭和45年1月、浅草二丁目

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